骸

海鳥は今、子育てに大忙しだ。
'そのう'と呼ばれる首の部分を大きく膨らませ巣に戻ってきてはヒナに餌を与え、また海へと滑り出していくことを繰り返す。おそらく何万年という歳月変わらず続いてきた光景なのだろう。
ある日、潮の引いた岩場の上に羽が散らばり、息絶えた鳥が横たわっていた。ウミウだ。
赤い肉がまだ死んで間もないことを物語っている。
猛禽類にやられたのだろうが、そういえばちょっと前にオジロワシが悠々と頭上を飛んでいったっけ。
それだったのだろうか。
すぐ近くの岩場では、この瞬間も何十もの鳥が羽ばたき声をあげているが、果たしてどうして命を絶やさなければならなかったのがこのウミウだったのか。
何故その横で睨みをきかすオオセグロカモメでも、カーカーとやかましく騒ぎ立てるハシブトガラスでもなく、このウミウだったのか。その偶然性と必然性、そして理不尽さの犠牲の上に、これを食べた猛禽は命をながらえ、ひょっとしたら巣で待つ幼鳥に少しばかりの肉を運んでいったのかもしれない。
そんなことを考えると存在する全ての命はその者には分らぬ必然性の元に懸命に生き、繋ぎ、そしてある日理不尽さを感じながらも必然の元に息絶える日が間違いなく来るのだと改めて思うのである。それは自分とて例外ではないのだ。
(ウミウ)
Canon EOS 5D & EF16-35mmf2.8L2







